Go to BUILD WELL !! may the imagination be with you...........
s s s s 基準と制約
lego

Nothing but white bricks....

緻密に決められたポッチ位置


真夜中の2時。
都心にある、とあるマンションの一室からカチャカチャという音。
部屋の中は、卸立てでいやらしいほどに光がギラつく純白の
基本ブロックで埋め尽くされていて、床には無造作に放り投げられた
アメリカからのダンボールが。
薬のような、何とも言えない航空便貨物特有のニオイと、
基本ブロックの醸し出すプラスティックの新品臭が互いに
混ざり合って異様に鼻につく。

黒い食卓で基本ブロックを片手にずっと考え込んでいるムサ苦しい男、
安心して、それはワタシ小倉だから:-)
小倉正之という男は昼間に能力を発揮することは今までの人生経験
から言っても100%あり得ない。
だから夜中に行動。レゴを弄るのも夜。

use the imagination!
ここで集中力と想像力を持続させ、そして頭脳の中にたった一枚だけ描かれた
スヌーピーの構造図を具現化できなかったら、目の前にある「シロモノ」
は万人の想像通りただの帽子になっただろう。

スヌーピーヘッド

でもそれは単に最悪の結論を仮定しているにすぎない。
この男が考えていることはたった一つ、それは凸凹の帽子の
ような基本ブロックの構造体の、この次の「段」にいかに
基本ブロックを配置するか、である。

端から見たらどう考えたって帽子にしか見えない。
でも本人にとっては、それはスヌーピーの頭蓋骨そのもの。

頭蓋骨を頭蓋骨たらしめるために、ポッチの数、
そしてブロックの高さや距離を慎重に決定していく。


見える。見えてくる。頭蓋骨に。時間と共に、ゆっくりと。
予想通りに、徐々にではあるが、その基本ブロックの「カタマリ」は
一段ブロックが積み重ねられる度に、ゆっくりと生命を帯びてくる。

そう、予想通りに。

これはあくまで予想されている展開。
なぜなら個々のブロックは、1/1000ミリ単位の
正確さを持つブロックとポッチにより、確かな強度で、かつ正確な
位置に配置されるから。

だから製作者はポッチという凸凹の数や配置、そして
プランを決定すればいい。あとはブロックが互いに結合し合い、
四角いブロックの集合体は人間の視覚の盲点を付き、
様々なロジックを越えて究極的には「滑らかな曲面」へと
人間を上手く「騙して」いくのだ。

なんという光景!
凸凹が曲面へと昇華する様は製作している人間が一番見ていて面白い。

しかしこうして凸凹が曲面へと変化するロジックには、
ポッチによって厳密に各ブロックが固定されるという前提と、
全てのポッチとブロックは同じ大きさで厳密にその寸法が決定されるという
ことが必要になってくる。
「ポッチがブロックに必ず付いていて、そして、個々のブロックの
大きさが同一な物として決定されている」という厳密な基準、
これがレゴブロックがブロック玩具たる所以である。


レゴブロックを語る上で欠かせない最初のマスターパスワードは基準(=ポッチ)
と言う言葉だ。
それは1949年に最初のブロックを造り上げたGodtfred Kirk Christiansenが、玩具の体系
をトータルで考え、それをシステムとして構築していくことにレゴ社の活路
を見出したことからも伺える。

そしてこれらのブロックやポッチに合わせて、レゴは人形も用意した。
基準に照らし合わされて人形が寸法を決められている事は
言うまでもなかろう。足の裏にはポッチにはめて固定する穴が用意され、
首の穴や胴体の固定穴などはそのはめ込みの寸法が全て
ポッチを基準に決定されている。

ミニフィグの特許

もうこうなってくると、他のエレメント、例えば車輪や
様々な特殊部品、それらも全てポッチのあるブロックに接合
できるように形を整えられていたり、ポッチが必ず添えられて
いたりする。
基準が基準を呼び、ポッチ以外にも、例えばテクニックの
ビーム穴やギヤなども全て基準を与えられる。
そして全てのエレメントは有機的に互いに関係を持ち、
結果的に一つのブロック作品として全てのパーツが
細胞の如き役割を果たす。

基準、ブロック玩具は今ここにその存在意義を持つ。


しかし不思議だ。
不思議でたまらない。
なぜなら、本来基準というものは自由な表現にとっては
邪魔な存在でしかないはずだからである。
美しく滑らかで魅力的なマテリアルは、本来
ブロック玩具ではないはず。
このロジックに異論を挟む人間などいないであろう。

自動車や飛行機を作りたい?
OKプラモデルが一番カッコいいぞ。

カワイイキャラクターが欲しい?
OK貴方が探してるものはヌイグルミだね。

造形や構造、そして製作の安易性を求めれば、
ある人間が、「欲しいと思う物を作る為のマテリアル」に
ブロック玩具を求めるのは自虐的な行為に他ならない。
素材はいくらでもある。
布、粘土、プラスティック、木、紙、等々......
加工に難があるものが列挙されていることは否定しない。
しかし少なくとも、ブロックという選択肢ほどのクセを持つ素材
は多くないはずだ。

だからブロック玩具というのは制約の塊であるはず。
そこには自由に加工するという手段はない。
自由に組み立てる手段のみが残されている。
それでもあえてブロックというマテリアルを選択し、
それを使って様々な物を創ってみたり、遊んでみたりする。

これが楽しい。
もうなんとも言えない楽しさがある。
どう表現すれば良いのだろうか。
なんかこう、とにかくブロックで創ってみたい衝動に
駆られるというか、あえてブロックで創ってみたら
どんなシロモノが出来上がるのだろうか?という好奇心か?.......


はっきりと言えること、それは我々レゴブロックファンは
ブロックという不自由な表現手段をあえて
選択することにより、自分に制約を果たし、それをマゾヒスティックなまでに
楽しんでいるのである。

このような部品まで特許を持つレゴ社

人間というのは非常に奇妙な動物だ。
持って産まれた好奇心なのか、はたまた何もかも全て
求める物に満たされたこの文明社会に生きているから
なのだろうか、人間と言う動物は制約を好み、制約を求め、制約を造りだそうとする。
そこにあるのは純粋な楽しみである。
制約があるから、足かせがあるから、簡単にはいかないから、だから楽しい。
商売にしたってそう。キンダーサプライズが売れるのは
中に何が入ってるか分からないからである。
レア物を求めるマニア魂もそう。入手が困難な物があるから
こそ、蒐集への執着が産まれる......
人は制約に喜んで金を払い、制約を楽しめ無いものには
それ相応の価値のみを見出すのである。


だからレゴブロックを語る上で欠かせない次のマスターパスワードは制約と言う言葉だ。
ブロックで表現する以上、必ずなんらかの限界や壁にブチ当たる。そして
表現の限界も訪れる。しかしながらその限界に挑戦してみる行為や
過程が人間に与える快楽は他の物ではなかなか味わうことが出来ない。


ブロックとポッチを統制する基準、
その枠組みの中でなんとかして物を創り出さねばならないという制約、
この二つが揃った時に初めてブロック玩具を愛好する人間は
そのアタマと想像力を駆使して自分の欲する物が出来ないか
いろいろと模索し、挑戦するのである。

そしてこれこそレゴブロックが多くの人に選ばれる所以である。
これは製品クオリティーにおいても、
そして個々の部品間の有機的な繋がりにおいても。

わざとレゴで創るから偉いんです!


ワタシは周りの人間に尋ねられたらいつもこう答えている、
「レゴで創ってみることができるかどうか、ただそれが知りたい」と。

自分に、ブロックで表現することを強要するというサディストと、
そのブロックの制約に苦しみながらも快感を得るマゾヒスト、そのどちらもがいる。

レゴブロックとは、自分にSとMの両役をもたらす「一人SM」なのかもしれない:-)



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